おはようございます、こんにちは、こんばんは。
ふらっふぃ(@fluffy_mybag)です。
2018/02/12の「激レアさんを連れてきた」に、 「事情があって3年間もドアがない中身丸出しの家に住んでいた人」が登場しました。
激レアさん(女性)は当時中学生。
お父さんの家庭内暴力から逃れるために、親戚のおじさんから提供してもらったのが、ドアがない中身丸出しの家だったそうです。
そんな家を提供する方もどうかと思いますが、玄関に一番近い位置に中学生の女の子を割り当てる母親もどうかと思います。
さて、ここまでのレベルには到底及びませんが、わたしも子供の頃に玄関の窓ガラスがなく、外からカギ開け放題の家に住んでいたので、その頃の話をさせていただきます。
1980〜1986年ごろの話
それは1980〜1986年ごろの話です。
当時わたしは小学4年〜高校2年生。
母親は37〜43歳くらいかな?正確なところは覚えてませんが、まぁそのくらいです。
プロフィールにも書いていますが、母子家庭で一人っ子なので、その家に住んでいたのはわたしと母の2人だけです。
たまに父親が来る程度。
父親と言っても既婚者で子供もいる人です。
母親は愛人。
わたしは父親が来ると、いつも千円札を渡されて家から出て行くように言われていました。なので、父と言っても親しみも何もない、只々嫌悪感の対象でした。
住んでいた建物
住んでいたアパートは二階建てで4世帯住んでいました。
昔ながらのボロいアパート。
部屋の間取りは2K。
襖で仕切られただけの狭い和室が2部屋と台所のみ。
先程書いたように、我が家は愛人とその子供(わたし)で、我が家の真下の1階の住人も愛人さんでした。苦笑
そして、お隣は若いご両親と小学校低学年〜高学年の子供3人の合計5人家族。
「よくこんな狭い家に5人で住めるな」と感心してました。
斜め下は空室。
といっても、家賃だけは支払われているという謎部屋だったので「空室」ではないかも。
気持ち悪かったです。
ある日突然、玄関の窓がなくなった
うちの玄関にはひとつ窓ガラスがはめ込まれていました。
ある日、学校から帰宅するとガラス部分が一枚の布キレに変わっています。
母に理由を尋ねると、「家の鍵を落としたから割って入った」と言うのです。
今日まで生きてきた47年間の人生で、唖然とした出来事のダントツ1位。
未だに記録は破られていません。
そして、それから引っ越しするまで母は玄関のガラスを修理することもなく、部屋の鍵も作りませんでした。
どうやって家を出入りするかと言えば、窓ガラスの部分から腕を伸ばし、鍵を開け閉めするんです。
玄関窓の布キレは押しピンで留めただけ。
その布キレの左下だけ留めず、腕をドアノブまで伸ばしてカチャリ。
もはや鍵の意味はありません。
父はそれを見ても「なんやこれは!」と言うのみ。
新しい窓ガラスをはめようとはしてくれませんでした。
愛人なんてヤるだけの相手なんですから、防犯なんて気にしないんでしょう。
窓がなくても、犯罪は起きなかった
「激レアさん」に出演していた方の「中身丸出しの家」と違い、わが屋の「玄関開け放題」は外から見えません。
知っていたのは父・隣人・郵便局の人・各種集金人・勧誘の人ぐらい。
みなさん、布をペラっとめくって「こんにちはー」です。
こんな状態6年くらい過ごしましたが、空き巣・泥棒の被害はありませんでした。
女性と子供だけで、よく何も起きなかったものだと思います。
平和な時代だったのか、地域性なのか。
玄関開け放題の家で一番困ったのは居留守が使えない事と、友達を呼べないことくらいでした。